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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和38年(ヨ)36号 決定 1963年11月07日

申請人 大槻忠男 外一名

被申請人 株式会社石川ランプ製作所

主文

被申請人会社は、申請人らを被申請人会社追浜工場勤務の従業員として取り扱い且つ昭和三八年七月一日から本案判決確定に至るまで、毎月末日限り、申請人大槻忠男に対しては金二二、〇〇〇円を、申請人神原文男に対して金一四、〇〇〇円を支払わなければならない。

申請費用は被申請人会社の負担とする。

(注、無保証)

理由

第一、当事者の求める裁判

申請人らは主文第一項と同旨の裁判を、被申請人会社は申請却下の裁判を求めた。

第二、当事者間に争いのない事実

一、被申請人は、東京都江東区に本社及び東京工場を、また神奈川県横須賀市に追浜工場をもち、自動車部品、電気製品等の製造、販売を目的として従業員約二六〇名を有する会社である。

申請人大槻忠男は、昭和三六年一月一七日、被申請人会社に自動車の運転手として雇われ、昭和三七年二月まで東京工場に勤務し、その後は追浜工場勤めとなつたが、入社以来自動車を運転して得意先に製品を納入する仕事を担当してきた。そして申請人大槻は被申請人会社の従業員によつて組織されている石川ランプ労働組合の組合員である。

申請人神原文男は、昭和三七年五月二六日、追浜工場勤務の営業課員として被申請人会社に雇われて以来同工場に勤務してきた。

二、申請人大槻は、同年六月一七日、被申請人会社から、追浜工場総務課長代理余宮実を通じて、本社営業課に転勤を命ぜられたが、この転勤命令に不服な点があつたので従わず、同月二〇日まで追浜工場に出勤し、同月二一日朝同様追浜工場において勤務に就こうとしたところ、余宮から既に解雇辞令が発送してあるから出社の必要がない旨申し渡されて帰宅した。このようにして、被申請人会社は、申請人大槻を、本社営業課へ転勤を命じたにも拘らず同課へ出勤しないことを理由として、同月二〇日以降退職者として取扱い且つ同申請人に対して賃金の支払いをしていない。そして、前記解雇辞令にあたる申請人大槻を退職者として取扱う旨の内容を有する被申請人会社追浜工場取締役社長石川重次郎名義の同月二〇日附通知書は、同月二一日、同申請人に到着した。

三、被申請人会社は、同月二二日、余宮を通じて申請人神原に対して、申請人大槻が前記転勤命令に従つて本社へ転勤しないので申請人大槻の代りに同月二五日から本社に転勤するよう命じた。これに対して申請人神原は、同月二四日に自己に対する右転勤命令についての返事をする旨を余宮と約したが、同月二四日、二五日の両日にわたつて、余宮に対して、自己に対する転勤命令の不当なことを訴えて右転勤命令に応じようとせず、その後同年七月一日に至るも本社へ出勤しなかつた。

被申請人会社は、申請人神原が転勤命令に従つて本社へ出勤しないことを理由に、同年七月一日をもつて退職者として取り扱い且つ同日以後同申請人に対して賃金の支払いをしていない。そして、申請人神原を退職者として取り扱う旨の内容を有する前記同名義の同年七月一日附通知書はその頃同申請人に到達した。

四  なお被申請人会社の賃金締切日は毎月二五日で、同支払日は毎月末日である。

第三争点

一、申請人ら代理人は、被申請人会社の申請人らに対する前記各転勤命令は、ともに申請人らが左翼思想を抱懐する者であると考えてなされた差別的取扱であり、労働基準法第三条に違反する無効な業務命令であるから、申請人らが右無効な各転勤命令に従わなければならないいわれはなく、申請人らが従前の職場である追浜工場において就労しようとして、前記各転勤命令があつた後も、申請人大槻が昭和三八年六月二二日まで、申請人神原が同月三〇日まで追浜工場に出頭したことは正当であつて、右就労を拒否したうえ本社に出勤しなかつたことを理由に申請人らを退職者とみなして賃金の支払いをしない被申請人会社の態度は不当である、と主張し、被申請人会社代理人は、申請人らに対する前記各転勤命令は、被申請人会社本社の営業課において仕事が増加しているにも拘らず人員が不足していること及び追浜工場で製品組立をやるべき予定のところ事情が変つて本社で組立をやる必要が生じたために本社における従業員の増加が必要となつたことによるものであり、申請人らを転勤要員として人選したのは申請人らが共に独身であつて転勤が容易であること、申請人大槻は東京勤務の経験があつて東京の地理に詳しいこと、申請人神原は追浜工場における勤務歴が浅いので同申請人を欠いても追浜工場営業課の業務に直接支障がないことの各理由によるものである、と主張する。

二、申請人ら代理人は申請人大槻の一カ月の平均賃金は二二、一八四円であり、申請人神原の一カ月平均賃金は一四、六五〇円である、と主張し、被申請人会社代理人は、申請人ら主張の金額は共に残業手当を含んだ月収額を基準として算定しているが、平均賃金は、残業手当を控除して算定すべきであり、これによると申請人大槻の一カ月の平均賃金は一八、五〇〇円であり、申請人神原の一カ月の平均賃金は一二、一〇〇円であると主張する。

第四当裁判所の判断

一、疏明資料によれば、一応次の事実を認めることができる。

(一)  被申請人会社専務取締役石川昇の思想問題に対する態度(疏甲第五号証、疏乙第四、第八号証、申請人両名審尋の各結果)

被申請人会社追浜工場においては、原則として、毎月第一月曜日に定期的に、朝礼と称して同工場の従業員を集め、業務上必要な伝達事項等を従業員に告知し、その際、石川専務が従業員に訓示を与える習であつたが、石川専務は、昭和三七年一一月頃から昭和三八年六月頃までの間の朝礼において、少くとも二回以上、同工場従業員に対して思想及び信仰の問題について、おおむね次のとおりの要旨の訓示を与えた。

「思想にしても信仰、宗教にしても、極端なものは好ましいものではない。元来自由であるべき思想や信仰においても、これが過激的、狂信的であつてはならない。思想、信仰なりのために、企業内において話合のできないような分子は矢張極端なものといわざるをえない。極左思想その他極端な思想、信仰の持主は、社内においては、どうしても排除しなければならない」。以上が石川専務の訓話の要旨である。

そして石川専務及び同人の思想及び信仰に対する右考え方並びに態度に同調的であつた被申請人会社追浜工場総務課長代理余宮実は、申請人らに対して前記転勤命令を発する前の昭和三八年六月一三日午後六時三〇分頃、申請人神原を追浜工場応接室に呼んで、同申請人に対して、思想及び信仰の問題、延いては民主青年同盟(以下民青と略称する。)の問題について、石川専務の朝礼における訓話と同旨の話しをしたことがある。

(二)  申請人らの会社内における言動及びこれに対する会社側の態度(疏甲第六号証、疏乙第一、第四、第五、第八号証、申請人両名審尋の各結果)

申請人大槻は、昭和三七年一〇月二八日に開催された前記組合の大会の席上において、その前日である同月二七日、当時東京工場に勤務し、右組合の組合員であり民青に加入していた及川富造が被申請人会社から就業規則違反を理由に解雇されたことについて、同人が解雇されたのは同人が民青に加入し、左翼的思想をもつているがための不当解雇であるから組合は右解雇に反対すべきである、との趣旨の意見を述べたことがある。

そして申請人大槻の右組合大会における発言の内容は、その後経営協議会の席上において、組合執行部の者から石川専務に伝えられ、申請人大槻は、右組合大会の後一乃至二カ月を過ぎた頃、石川専務から、組合大会において及川を弁護したことがあるかどうか、どのようなつもりで弁護したのかなどの質問と非難を受けたことがある。なお申請人大槻は、及川が解雇された後、追浜工場の従業員の一部の者の間で「及川君を守る会」なる名称の会を結成し、右解雇が不当な馘首である旨を、ビラの配布などを通じて、各従業員に訴え続けてきた。

申請人神原は、右会の一員として、申請人大槻らと共に、右解雇の不当性を主張してきたが、このことは余宮課長代理の知るところとなつて同課長代理から石川専務に報告され、昭和三八年六月一三日、前記のとおり石川専務、余宮課長代理に追浜工場応接室に呼ばれて余宮課長代理の話しを受けた際、石川専務から、同申請人が及川の解雇について及川に同情的な言動を示していることについての質問とその言動に対する非難を受けた。

(三)  石川専務の民青に対する見方及び申請人らと民青との関係についての知情(疏乙第二、第四、第八号証、申請人両名審尋の各結果)

石川専務は、前記のとおり経営協議会の席上において申請人大槻の組合大会における発言の要旨を知らされて以来、前記組合が常に会社に敵対する急進的な組織でないこと、及川の解雇については組合が承認していること、などの点から及川の解雇を不当馘首として反対しているのは組合以外の団体の指示によるものであると思惟し、及川が民青に加入していることと思いあわせて、同申請人が民青に加入しているのではないかとの疑いをもつに至つた。そしてその後、石川専務及び余宮課長代理は、前記「及川君を守る会」の活動状況から推して、同会に属しているとみられる申請人らが民青に加入しているものとの疑いを深めた。

ところで石川専務は、民青なる組織について、それが共産党と同様にいわゆる極左的な破壊的行動にでる場合もあると考えていた。

(四)  被申請人会社が主張する前記各転勤命令の必要性並びに転勤要員の人選について(疏乙第四、第八号証、被申請人会社代表者審尋の結果)

被申請人会社は、昭和三八年六月初旬頃、東京工場の営業部門が繁忙期を迎えるために、追浜工場から従業員を転勤させて人員の補充をしようと考えて、東京工場関根総務部長から電話をもつて余宮課長代理のもとにこの旨を連絡した。本社において新規採用者を募集しなかつたのは、東京においては求人が困難であり、これにひきかえ追浜地区においては比較的容易に従業員を募集しうると考えたためである。

右のとおりの連絡を受けた追浜工場においては、余宮課長代理から石川専務に右連絡の趣旨を報告したうえ、石川専務、余宮課長代理及び追浜工場営業課長岩瀬春男、とりわけ余宮課長代理が中心となつて転勤要員の人選に当り、前記第二、二のとおり申請人らを順次転勤要員として指名した。

(五)  昭和三八年六月当時の被申請人会社の人員配置及び前記組合の状況(疏乙第四、第五号証)

当時、追浜工場の従業員数は約二二〇名で、そのうち同工場営業課所属の従業員は約一三名(うち課長ほか一名を除いたほかは独身者)であり、本社(東京工場を含む)の従業員数は約四五名であつた。

また前記組合の執行部は執行委員長木村重雄以下八名によつて構成され、全員追浜工場の従業員で占められていた。本社及び東京工場には単に職場委員が二名いて文書、電話等の連絡事務に当つていたに過ぎない。

(六)  前記各転勤命令が発令された後の申請人らの行動(疏乙第四、第六号証、申請人両名審尋の各結果)

(イ) 申請人大槻は、前記第二、二のとおり、昭和三八年六月一七日に転勤命令を受け、一旦は転勤もやむをえないものと考えて右命令に従う意向でいたところが、翌同月一八日、たまたま追浜工場へ出張して来た本社総務課員小原某に会つて、自己の転勤の話しをしたところ、同人が本社には申請人大槻の就くべき仕事がない旨答えたため、にわかに自己の転勤についての会社の意図を疑うようになり、かつて及川が追浜工場から東京工場へ転勤した後約五カ月を過ぎて前記のとおり解雇されたが、その解雇原因は実は同人が左翼的思想を抱懐するためであつたと信じていたので、自己も及川と同様の運命を経て結局解雇されるものと考えて、余宮課長代理に転勤命令に従わない旨を告げた。

(ロ) 申請人神原は、前記第二、三のとおり、同月二二日に転勤命令を受けたのであるが、同申請人も亦、申請人大槻と同様疑懼して転勤命令に従わず、同月三〇日まで、追浜工場において就労しようとして同工場に出頭した。

二、以上認定した事実を総合して考えると、申請人らに対する転勤命令とりわけ申請人らを転勤要員として人選したのは被申請人会社において、申請人らが及川の解雇をめぐつて会社の意としない過激的な行動にでやすい思想的団体を母体とし、その思想に同調して会社の右解雇処分に反対する態度を示しているがためであり、これを善処するには、申請人らを右活動の中心地であつて同志の集つている追浜工場から引き離さざるをえないものと考えたことに理由があるものとみるべきである。

前掲各疏明資料のうち右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定を覆えすに足りる疏明はない。

なお、被申請人会社は、前記第三、一のとおり、申請人らに対する前記転勤命令の正当なことを主張する。そして疏明資料によれば、一応前記第四、一のとおり、被申請人会社における従業員の配置転換の必要性があつたことを認めることができるが、何故に数ある追浜工場営業課員のうちから申請人らを転勤要員として人選したかの点については、前記第三、一のとおり被申請人会社が主張する理由に符合する疏明資料(疏乙第四、第八号証)もないではないが、これは前記第四、一、(一)乃至(三)、(五)に認定した事実と照らしてたやすく措信し難いところである。

次に申請人らに対する前記転勤命令が不利益待遇即ち差別的取扱に該るかどうかについてみると、前記第四、一、(五)において認定したとおり、追浜工場に比して従業員数従つて組合員数が少くしかも組合の組織構成のうえでも充実されていない本社に転勤させられることは、労働者としての団体行動その他の活動をするうえに不便であると認められ、このことは転勤によつて申請人らの賃金その他の労働条件について不利益を招来することがないとしても、労働者としての利害得失の観点からすれば不利益なことといわざるをえず、右認定を覆えすに足りる疏明はない。

よつて、申請人らに対する前記各転勤命令は、申請人らの左翼的思想を理由とする不利益取扱であつて、労働基準法第三条に違反し無効と認めるのが相当である。そして、右無効な転勤命令をそれぞれ拒否した申請人らの業務命令不服従は不当なものでなく、これがためになされた被申請人会社の申請人らに対する前記第二、二及び三の各解雇――被申請人会社は申請人らが任意退職したものとして取扱い、前記のとおりの内容の通知書(疏甲第一、第二号証)をそれぞれ送付しているが、これと前記認定の事実を総合して考えると、右処置は被申請人会社の側からした通常解雇と認めるのが相当である。――も亦理由のない無効なものと認めるのが相当である。

三、よつて次に申請人らの各平均賃金の点について検討する。労働基準法第一二条に規定する平均賃金の算定基準となる賃金総額とは、いうまでもなく同法第一一条に規定する賃金の総額であり、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものを指称するのであるから、残業手当、休日出勤手当、技能手当、下宿手当、通勤手当のすべてを含む総額であると解すべきである。

そこで疏明資料によつて申請人らの各平均賃金を算出すると

(イ)  申請人大槻は、昭和三八年三月分の賃金として二六、四七五円、同年四月分の賃金として二一、七〇一円、同年五月分の賃金として一八、三七八円を被申請人会社からえていたことが認められるので(疏甲第三号証の一乃至三)、同申請人の一カ月の平均賃金は二二、一八五円である。

(ロ)  申請人神原は、同年三月分の賃金として一四、二二七円、同年四月分の賃金として一五、四二五円、同年五月分の賃金として一四、二九九円をえていたことが認められるので(疏甲第四号証の一乃至三)、同申請人の一カ月平均賃金は一四、六五〇円である。

四、申請人らと被申請人会社との間の労働契約上の各労務提供の債務は、申請人大槻が前記第二、二のとおり昭和三八年六月二一日まで、また申請人神原が前記第四、一、(六)、(ロ)のとおり同月三〇日まで、それぞれ追浜工場において就労しようとしたのに対して、被申請人会社が、前示のとおり、申請人らに対してそれぞれ無効な解雇処分をなしたために履行できなくなつたのであるから、右各債務の履行不能は被申請人会社の責に帰すべき事由によるものと認めるのが相当であつて、右認定を覆えすに足りる疏明はない。従つて、被申請人会社は申請人らに対して右債務の反対給付である賃金の支払いとして前記各平均賃金の支払いをしなければならないのであるから、申請人らはそれぞれの平均賃金のうち申請人ら主張の金額の限度額で、昭和三八年七月一日以降毎月末日限り、被申請人会社に対して、賃金を請求することができる。

五、以上のとおり、被申請人会社の申請人らに対する本件各解雇は無効と認むべきものであるが、解雇が無効であるにも拘らず、申請人らが被解雇者として取り扱われ、しかも本案判決確定に至るまで賃金の支払いを受けられないことは、特に反対の疏明がない限り、労働者である申請人らにとつて著しい損害を生ずべきことが明らかであるから、本案判決確定に至るまで本件各解雇の効力を停止して、申請人らが被申請人会社の従業員たる地位を仮に定めておくと共に被申請人会社から申請人らに対して前記平均賃金額を仮に支払わるべき必要性がある。

また、被申請人会社の申請人らに対する本件転勤命令が無効なることは前示のとおりであるが、右無効は、将来本案判決が確定するまでの間申請人らから直接被申請人会社に対してこれを主張し、追浜工場において就労して稼働することの正当なことを主張しうるかどうか確実ではなく、しかも右転勤命令の違法性の原因が、前示のとおり、申請人らの抱懐する左翼的思想を理由とする転勤命令である点にあるので、これがため前示の如き不利益を受けることによつて、仮に被申請人会社の従業員たる地位を認められたとしても、なお転勤による精神的苦痛は多大なこと明らかであるから、本案判決の確定までの間、本件転勤命令の意思表示の効力を仮に停止して申請人らの被申請人会社追浜工場勤務の従業員としての地位を仮に定めておく必要がある。

よつて本件申請を保証をたてさせないですべて認容し、申請費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 藤堂裕)

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